2017-04-13 第193回国会 参議院 内閣委員会 第4号
これは「勅語衍義」といって、教育勅語が出された後に、井上哲次郎という当時の文部省が依頼した学者、文学博士なんですけれども、その方を中心として編さんされた衍義、つまり中学校や師範学校でこれを基に教育勅語を解説し、授業の中で、あるいは研修で使われたというもので、教育勅語とはこういう解釈するんですよというような説明がされているものであります。 「夫婦相和シ」というところ。
これは「勅語衍義」といって、教育勅語が出された後に、井上哲次郎という当時の文部省が依頼した学者、文学博士なんですけれども、その方を中心として編さんされた衍義、つまり中学校や師範学校でこれを基に教育勅語を解説し、授業の中で、あるいは研修で使われたというもので、教育勅語とはこういう解釈するんですよというような説明がされているものであります。 「夫婦相和シ」というところ。
それに対しまして、日本の場合に学位制度、これまで幾たびか変遷がございますけれども、いろんな分野、従来ですと文学博士とか法学博士とか、先ほどのようにいろいろあったわけでございますが、大変もっと細分化して、こういうものをやりたい、こういうものをやりたいというニーズが高まってまいりました。
鰐淵 俊之君 石井 郁子君 児玉 健次君 深田 肇君 委員外の出席者 参考人 (元長野五輪儀 典アドバイザー ) 吹浦 忠正君 参考人 (作曲家) 中田 喜直君 参考人 (國學院大學文 学部教授・文学 博士
本案審査のため、本日、参考人として元長野五輪儀典アドバイザー吹浦忠正君、作曲家中田喜直君、國學院大學文学部教授・文学博士阿部正路君、阿部参考人はちょっと電車の都合でただいまおくれておりますけれども、ただいま参ります。
北構先生というのは根室で印刷屋をやっている方でございますが、非常に考古学に興味を持って、そのことを一生懸命勉強されて文学博士まで取った方でございます。したがって、その方が最後に言っていることをお話し申し上げて、ひとつ質問を終わらせていただきたいと思います。
それは、これまで文学博士あるいは法学博士というふうに名称をきっちり決めていたわけでございますけれども、新しい制度としましては、専攻分野ごとの博士の種別を廃止するということによりまして、博士(文学)とか博士(法学)とかいうような、それぞれの大学で工夫しながら出し得るような緩やかな制度をつくったわけでございます。
おまけに、特に文学部などは文学博士なんて出しはしませんから、留学生もせっかく日本の大学院に学んでもその称号をもらえないということで、帰っても余りメリットがないというようなことがあってどうも文科系の大学院が停滞しているのではないかなという気がいたしますが、その辺はいかがですかね。
まず一つは、学位の種類につきまして、学位規則により限定的に列挙するという現行の方式を廃止する、そして各大学院が学位を授与するときには、基本的な考え方は、博士という学位を授与するのである、そういうことによりまして、文学博士というものに持つイメージというものを大きく改めようではないかということでございました。
自分のことを言ってはまことに僭越なんでありますけれども、私は学位を三つ持っていますが、そのうちの一つの文学博士はイスラム教の社会思想という論文でいただいたのであります。なぜ日本ではイスラム教の研究がはかどらないかというと、大学に講座がないものですから、学位を取っても教授になれない。その点が諸外国と非常に違うので、諸外国の場合は学位を取れば必ず講座があるからそこで教授になれるということです。
まあ(文学)と文学、同じではないか、こういう御指摘もありますが、今の文学博士というのはいわゆる文学の三分野と言われております哲学、歴史、文学、これを皆総合したものが文学、こういうことでございますので、それをさらに細分化して、あるいは場合によりましては博士(国文学)というようなことも考えられるわけでございます。
しかしながら、これまた先生御指摘のように、留学生のためのいわばレベルの低い学位を出すということになりますと、これまた逆に国際的にも問題でありますので、この学位制度の見直しの中ではそういう考え方をとらず、従来の碩学泰斗というイメージを払拭するために、文学博士というのはやめて、博士( )、その中で文学というか、あるいは哲学というか、あるいは歴史というか、そういったところまでつけるようにすれば、そこでイメージ
博士(文学)という――文学博士じゃなくて。僕なんかの感じだと同じじゃないかと、こう思うんですが、局長は相当違うんでしょうね。文部大臣、どうですか。今の(○○)、これは随分違うと、こういう考え方なんですか。いや、それをやると学位は取りやすいということなんでしょうか。
それから、御指摘をいただいております学位制度の改善ということにつきましても、現在ございます文学博士あるいは法学博士というものをそのまま引きずっていきますと、従来のいわば碩学泰斗というイメージをいつまでも引き継ぐということになりますので、この答申でちょうだいいたしております改善案は、博士というのはもう博士だけにしよう、そして学位記では博士ということにして、それに一般的な必要性から専攻をつけるということについては
それから従来の学問分野に入るような研究の中身であれば従来のタイプの理学博士、工学博士等を出すということを予定しておるものでございまして、研究科別あるいは専攻別に申し上げますと、文化科学の研究科では学術博士と文学博士と両方用意しておる、それから数物科学の研究科では学術博士、理学博士、工学博士、この三つを用意しておる、それから生命科学の研究科では学術博士と理学博士と、この二つを用意しておるということで、
意見陳述者は、芦屋大学教授小笠原暁君、関西大学教授鈴木祥藏君、大阪大学人間科学部助教授・文学博士梶田叡一君、京都大学法学部教授勝田吉太郎君の四名でありました。 以下、その陳述内容につきまして簡単に御報告申し上げます。
芦屋大学教授小笠原暁君、関西大学教授鈴木祥藏君、大阪大学人間科学部助教授・文学博士梶田叡一君、京都大学法学部教授勝田吉太郎君、以上の方々でございます。 それでは、これより御陳述をいただきますが、御発言は座ったままで結構でございます。 まず最初に、小笠原暁君からお願いいたします。
所長さんも実は文学博士で、恐らく心理学の権威者だったと思いますが、いろいろお話を聞きましても非常に適切だ。そして住民とは、いまの福祉教育相談所において窓口というのはやっておられる。その研究所の人がそこに行っていろいうの指導もされておる。また地域の住民とも、学校の先生が暴力問題についてお話しに来たり、あるいは父兄の方がそこに来たりしておられる。
場合によれば、どれほどの数になるか知りませんけれども、日本じゅうの文学博士全部に、ひとついい名前があれば連絡してほしいという通知を出されるのも一法ではないか。
でも、日本人の文学博士とかとなるとこれは大変むずかしい、経済学博士となるとむずかしいというようなことがございまして、文科系は、ここへ来て二、三年勉強して修士をとるとか、あるいは四、五年勉強をして博士をとるというのはむずかしいというようなことは間々聞かれます。
私どもの調査によりましても、たとえば哲学講師、文学博士平岡禎吉というのがあるが、これはもう四十五年、四十六年実在しない。法学博士鷲見美雄というのがあるけれども、四十五年も実在しないし、四十八年もおらぬ、四十九年非常勤講師と。あるいは電子科の中で教授、工博加藤安太郎というのがある、四十五年、四十六年、これはもう実在しないのですね。
一々読むことはやめますけれども、「やまとごころ」というのを執筆した河野省三さんという文学博士も、この大國隆正の「やまとごころ」というものに対してほんとに強烈な、反動的な考え方を持って、あのファシズムのあらしの中で、とにかく日本の教育を動かしたんです。これを、いまの、反対なんかしたらどういうことになる、一たまりもなくやられたでしょう。
し上げました、このいわゆる論文博士の制度はございますけれども、御案内のとおり、外国語の二種類、二カ国語の試験をする論文が必要だという点が、旧制度との違いのおもな点だと思いますが、その点についてのいろいろな陳情も、私、直接受けたことはございますか、これは文部省令で処置できる範囲でございますので、できることならば、たとえば、しろうと話を申し上げておそれ入りますが、かりに源氏物語なり、枕草子を研究して文学博士
○吉村証人 別に先生が文学博士あるいは理学博士であるとはっきり申したことはございません。世間でそういうふうに確かに言われておりましたが、あるいはその中には、いやそうじゃないんだ、という人もおったようでありますが、その点について、果して博士号を正規に持っておられるかどうかまで伺ったことはございません。
当時、私は理学博士、文学博士だという天川さんの肩書を、その言葉通り、すっかり信じ込んでいたため、十年一日かわりない毎日を過す先生生活より……と思い、天川事務所につとめる気持になったのです。またその頃、千葉県市川の家にいた祖母が亡くなり、家を管理せねばならないことなどもあり、決心するにいたったのです。 ともあれ、二十八年六月から天川事務所に出勤しました。